自分の事を、胸を張って好きだと言える高校生はそう多く無い。
大抵の場合、勉強や対人面での苦手意識があったり、うまく自分を出せなくて悩んだりする。
自分が生まれ持ったものや、所属する集団、家庭環境に根ざした苦しみもある。
それをバネにしてする努力は尊い。
でも、刻苦して乗り越えられる事ばかりでは無いし、すぐに解決出来ないこともある。
そう考えると、例え嫌いな部分があったとしても、それと付き合いながらやっていくしかない。
明治の文豪夏目漱石は、門下生に送った手紙の中で、自身の死生観に触れながら次のように述べている。
「私は今のところ自殺を好まない。恐らく生きるだけ生きているだろう。そうして、その生きているうちは普通の人間の如く私の持って生まれた弱点を発揮するだろうと思う。私はそれが生だと考えるからである。」
(三好行雄 編『漱石書簡集』岩波文庫 より引用)
生きることは、弱点を発揮することだとまで言っている。
こんなこと、なかなか言えない。
漱石自身は、日本の近代という大きなうねりに直面し、苦しみながら書き続けた人である。
傷だらけになって生きた人がこんな言葉を遺していると思うと、何やら救われるような気がします。
水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)