役割の再確認

先日、職場のICT教育研修のプログラムで、東京学芸大学の森本康彦教授のお話を伺う機会が有りました。

高校の教員として果たしていくべき役割を、社会の変化や大学入試改革、これから生徒が身につけていくべき力と言った視点から語られ、強力な指針を示して頂いたように思います。

自分の問題意識や今まで見聞きしたこと、これからやりたいことのキーワードが何やら頭の中で繋がりつつあるように感じます。

一日たった今も、心がざわざわしています。

研修の趣旨とは脱線するかも知れませんが、詰まるところ自分は、先生が語る「教育」の仕事に感動したのだと思います。

ただ物事を教えるのでは無く、生徒が知識を得たり、自分で考え成長していく為のコーディネーターになること。

そのような授業を実践していく為には、教員自身の確かな技量とコミュニケーション力がますます求められます。

そんな理想を、物凄い温度の熱を持って実践されている姿に、強く惹きつけられました。

これは、一生を賭ける値打ちの有る仕事のようです。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

Advertisements

小さなミッション

間もなく平成30年度がスタートします。

通信制高校に転職し、フルタイムの教員になって4年目に入ります。

多少進歩したことも有りますが、当初思っていたよりゆっくりしか成長していないようです。

この1年間を密度の濃いものにする為に、今年度注力したい自分の使命をここに記します。

  1. 教育者・支援者としてピカイチの人材になる
  2. 単位制キャンパスの教育力向上とキャンパス全体のサポート体制の強化
  3. ミドルリーダーとして後輩のモデルとなる

短く書くと、こうなります。

少しずつ、続きを書いていきたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

苦手だから出来ないこと→苦手だけど出来ること

通信制高校で仕事をしていると、生徒から対人的な悩みを聞くことがしばしば有ります。

一例を挙げると、不登校を経験をして来た生徒にとって、ペアワークやグループワークが有る授業、すなわち複数の生徒とのコミュニケーションが発生し得る場は不安の種のようです。

ここから、具体的な解決策・代替案を提示していくのが教員の役割。

ただ、こういった訴えを聞いた時、まずははごくあっさりと

「そうなんや。」

と返答するようにしています。

最初は、否定も肯定もしません。

勿論、これだけでは折角の成長の機会を逸してしまいます。

相手との関係性やタイミングにもよりますが、少しずつ

「(他の人と接するのが)好きじゃなくても、まあまあ出来るようになるかも知れないで。」

「今は出来なくても、少しずつやればハタチぐらいには出来てるかも知れないよ。」

「一人が好きなのは全然良いけど、大勢とも居られる方が生き易いよ。」

というメッセージを伝えていきます。

損得が響く生徒であれば、

「コミュニケーション力を今のうちにつけておいた方が、大人になてからおトクやで。」

「単に知識が有るだけより、色んな人と関わる力があった方がお金になるよ。」

という話をします。

直ぐには変化に繋がらなくても、そうした積み重ねが半年後・一年後の成長に響いて来るのだと思います。

余談ですが、私自身中高生の頃は人と関ることに苦手意識しか無かったですが、10代の終わりに偶々教育の世界に惹きつけられ、訓練の結果多少変わりました。

得意かと聞かれたら分かりませんが、必要な話は出来るし、そういった力を寄せ集めて生徒と関わっています。

人間には向き不向きも有りますし、苦手なものを好きになる必要は有りません。

でも、自分は苦手だと思っていることでも、まあまあ出来るようになるかも知れない。

やってみることで、自分や他者に対して新しい発見が有るかも知れませんよ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

教員が担うべきコーディネーターとしての役割

12.5パーセント。

私が担任として受け持つ1年生40人のうち、この半年間でスクールカウンセラーに繋がった生徒の割合です。

この他に、保護者の利用、担任からカウンセラーへの相談のみに留まった生徒を含めると、その数は校内で群を抜いていると思います。

一人で生徒と関わるより、保護者の方の安心に繋がっているようです。

私が知る限り、望ましいカウンセリング利用率というような指標は聞いたことが有りません。

在籍数や教育成果に直結するKPIと比べると誰も気にしていませんし、高いから良い、低いから悪いと言った類のものでは無いと思います。

むしろ、伝統的な教員の世界では、そもそも問題を出さないことや、教員の力量で解決することの方が尊ばれるのかも知れません。

ただ、私自身は生徒の悩みを適切に共有・相談出来ているか、すなわち自分のコーディネーターとしての技量を測るバロメータと捉えているので、それなりに意味のある数値だと思っています。

福井の中2自殺に関する報道を見ていると、学校がこの生徒について、スクールカウンセラーに一切相談していなかったことが分かっています。

想像するに、このような機能不全に陥ったことと、“伝統的な”教員の世界のカルチャーは無縁では無いと私は考えます。

恐らく、学校業界の中には潜在的に、カウンセラーやその他サポーターの役割と効果に対する無理解が有り、保護者にもカウンセリング利用に対するネガティブイメージが有るのではないかと思います。

教員の怠慢、或いは自身の能力についての過信と言っても良いかも知れません。

学校教育の末端を担う教員として言葉を選ばずに言うと、学校内でスクールカウンセラーが上手く機能しないケースの殆んどは、コーディネーターとなる教員の無知によるものが大半だと思います。

そうでなければ、そういった支援者を巻き込んで相談体制を構築・運営出来ないマネージャーの無能の為です。

機能不全に陥ることを避け、人命に関るような不幸を防ごうと思うのであれば、学び続けるしか有りません。

単に繋ぐと言っても、生徒の悩みをキャッチする力と、自分なりの見立てや見通しを持ち、SCへ相談する明確な意図が求められます。

カウンセラーや他の支援者に対する敬意を持った上で、生徒の課題を抱え込みすぎず、密なコミュニケーションを取り合うこと。

魔法のような解決策では無いですが、そういったことを意識し続けなければ、どの学校でも同じことが繰り返されるのだと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

どこでも起こりうる恐ろしさ

福井の中学2年生の痛ましい事件についての報道が続いています。

新たな記事を見るたびに、怒りと言うより無力感を感じます。

まず目を引くのは教員による不適切な関りですが、背景に有るのは学校現場の様々なレベルの機能不全です。

学校全体としての指導体制、情報共有や組織風土、生徒の悩みをキャッチする仕組み、管理職の責任。

第三者委員会による事実の洗い出しが不可欠ですが、教育委員会や学外の支援機関も、学校現場で不適切な指導がなされ、中2生徒がこのような決断に至ってしまうまでに何の抑止力も持たなかった訳です。

一教員として感じるのは、いくつかの条件が重なれば、どんな教員でも加害者になる可能性があるということ。

そして、閉ざされた学校はそうした暴力を助長し、見過ごす温床となりうることです。

余りに大きく、根深い問題をどのように受け止めれば良いのかまだ分かりません。

続けて考えてみたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)