物語る父

私立高校を退職した父は、週のうち何日か、生家である真宗の寺で働いている。

年末の帰省時に話をすると、「若い頃は芥川龍之介のことを凄いと思っていたが、最近は森鴎外を凄いと思うようになった」と熱心に語り、二三の作品名を挙げた。

目が悪くなったようで、手元で繰って見せる本の活字はとても大きい。

法話の材料にするつもりなのだろう。必要なことはノートにメモし、一言一句覚えていると言う。

父のこうした姿勢は、国語教師であった頃からずっと変わらない。

でもしか教師を自認する父だが、70代の後半になっても、何かを読み、咀嚼し、誰かに語ろうとし続けていることがおかしくもあった。

年が明けてから、父が読んでいた『最後の一句』を開いてみたが、自分には良く分からなかった。

作品の舞台となった江戸時代中期の様子や、鴎外の人と文学について無知なので、当然のことのようにも思う。

あるいは、それらの理由は全く関係無いのかも知れない。

大体が、四十近く年の離れている父が夢中になっていることやその時の気持ちは、自分にはいつも実感が伴わないことが多い。

親子関係とは、そんなものなのかも知れない。

(今の時点では、生来の反骨精神と、様々な屈託が合わさってこの作品に心惹かれるようになったのだと想像しているが、実際のことは分からない。)

きっと、10年・20年後に分かることもある。

また、時々思い出して読んでみよう。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

自分の子どもにどのように育って欲しいか

年末年始の冬休み。地元に帰省した以外は、妻と1歳になる子どもと3人で静かに過ごした。

時間があったので、自分は子どもにどのように育って欲しいと思っているのかを少し考えた。

大切にしたいことは、5つある。

第一に、丈夫であること。

幸い、今のところ大きな病気も無く健やかに育っているが、心身のことは今後どうなるかは分からない。だからこそ、出来うる限り丈夫に育つように見守りたい。レジリエンスという言葉より、もっと単純なもの。何よりも、これが一番。

第二に、「有難う」「ごめんなさい」が伝えられること。

自分の子どもなので、対人的に不器用な所も出てくるかも知れない。社会性の乏しい利己的な人間になっても構わないが、この二つ言葉が指し示す感情だけは、きちんと表現できるように育てたい。

第三は、物事を面白がれる・感動出来る感受性を持つこと。

今の時代、沢山の情報や知識に触れられる。でも、目の前の現象や体験したことを、素直に面白がったり、不思議に思えるような気持ちを育みたい。奇麗だな、美しいなという気持ちも。

第四は、中学校までの学習は確実に身に着けること。

将来、いつどんなタイミングで、何の勉強がしたくなるかは分からない。子どもがどのような分野に進んでも、読み書き計算と、それらに集中して取り組む力さえあれば、大抵のことは出来るように思う。

第五は、うまくまとまらなかった。

社会での自分での役割を見つける、誰かの為に役立てる、何かを生み出せる人、…と言ったキーワードが浮かんだが、どれもしっくり来ない。それはもう、私が子どもに求めることじゃないし、大切だと思うなら自分がやれば良い。極論、成人した息子がどう生きようが知ったこっちゃない。

最後に求めるのは、「自分の生き方を、自分で決める」ということなのだと思う。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

始業式に並ぶ顔

午前と午後の2回に分けて、勤務校の始業式があった。

教室に何十人と集まった生徒の顔を眺めていると、生まれ育った場所も違う沢山の10代が、こうして目の前に集まっていることに不思議な感じがした。

普通だったら、お互いに出会うことも無い人たちだ。

当然、生徒は私になど何の関心も持ってはいないが、教員という役割を通じて、日々何かを投げ掛けることが出来る。

そういう意味では、学校ってやっぱり凄い発明だと思う。

そんな思いが頭に浮かんだ。

教員生活7年目も残すところ2か月と少し。

自分の中に、まだまだこの仕事を新鮮に感じたり、驚いたりする真っ新な気持ちがあるようだ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

ふわふわとした感覚

小中学生は知らないが、高校生は「教員」であるというだけで教師を有難がったりはしない。

「この人は、どうやら物が分かる人間のようだ」

「この人とだったら、一緒に学んでみるのも悪くないな」

そんな風に思って貰って初めて、先生として認められるように思う。

そうした年代だからこそ、中等教育という仕事が気に入っている。

4月から新しい拠点での勤務となり、白板の前で最初の一週間の授業を何とかこなした。

私は決してセルフモニタリングが得意な人間では無いが、生徒が自分を見る目や教室の空気感から想像すると、まだ自分が評価の定まらない存在であると感じる。

個々にも、集団に対しても信頼関係と呼べるようなものが出来ていない、ふわふわとした関係だ。

これまでいたキャンパスでは、自分のキャラクターや言動、授業のスタイル等がある程度認知されていて、生徒の方もそういう先生として扱ってくれるある種の気楽さがあった。

しかし、新しい職場ではそうしたイメージ、関係づくりはゼロからスタートする。

少しだけ落ち着かない。

しかし、色んな可能性がある。

もっともっと変われるのではないかという期待を感じています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

異動の前後に考えたこと

この春から、教員生活も7年目。

実は、勤務する通信制高校内で異動となり、新たに兵庫県内で働いている。

3月上旬に異動の話を聞いた際は正直驚いた。

受け持っていた1年生を続けて見れないことは寂しく思ったし、通勤時間が長くなることも残念だった。

ただ、それ以外の全てについては、自分にとってチャンスになるだろうと感じた。

勿論、具体的な懸念事項もあった。

一つ目は、周囲のサポートについて。6年間勤務した大阪梅田では、旧知の同僚からあらゆる面で助けて貰っていた。(つまりは、沢山甘えていた訳だ。)そうした人的な資源から切り離されて、一人前の仕事が出来るだろうかという不安があった。

二つ目は、新たな役割について。平教員とはいえ、教科教育や校務分掌上で求められる役割が複数ある。その中には、生徒指導に関するものや、今まで教えたことがない科目もあり、果たして期待に応えられるだろうかという思いがあった。

しかし、そんな心細さも一週間ほどで殆ど吹き飛んだ。

これまでより複数業務を処理しなければならなくなったのは事実だが、電話一本・Slackのダイレクトメッセージ一本で、勤務地を越えて多くの先生が適切なアドバイスをくれる。本当に心強く思う。

果たすべき役割については、一つ一つ考え、準備し、取り組んでいる最中だ。この数日で悟ったことだが、自分は組織の中で「歩」に過ぎない。力を高めたい、出来ることを増やしたいという思いもあるが、自分がとるべきアクションは泥臭く前に進むだけだ。難しいことが求められている訳ではない。そう再認識したことで、大分肩の力を抜くことが出来た。

前の拠点にも新しいキャンパスにも、頼れる腕利きの職員が沢山いる。

それが何よりも自分の励みになっています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)