10代の自死の知らせを聞いて不安を感じている生徒へ

8月の自殺者数増加の報道に続いて、大阪市北区の商業施設で起こった痛ましい出来事が耳に入ってきた。

同じ市内で同世代の命が失われたというニュースに、不安を感じる自校の生徒も居ると思う。

死は、身近な人であれば勿論、遠い関係の人でもあっても重いものだ。

人前ではいつもと変わらないように振舞っていたとしても、自分でも気づかないうちに大きな影響を受けていることもある。

仲間内ではセンセーショナルな面が話題に上がるかも知れないが、心の内を話すのは難しいことだ。

私自身、大人になった今であれば、誰かの死を時間を掛けて反芻し、その気持ちの一部を人に話すことも出来る。

しかし、10代の頃に身近な人の死に直面していたら、誰にも話すことは出来ないだろうと思う。そもそも上手く言葉にすることが出来ないし、理解しくれる人を見つけることも容易では無い。

もし、今まさにそうした不安を抱えている生徒がいれば、少しだけ信頼出来る大人に打ち明けてみて欲しい。

親でも、教員でも良い。

場合によっては、スクールカウンセラーや支援者も力になってくれる。

最近は、下記のリンクのように厚生労働省が電話やSNSを介した相談窓口を整備している。

厚生労働省ホームページ 悩みがある方・困っている方へ

苦しさが募り、押しつぶされてしまう前に、安心して相談出来る場へと繋がって欲しいです。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

教員が担うべきコーディネーターとしての役割

12.5パーセント。

私が担任として受け持つ1年生40人のうち、この半年間でスクールカウンセラーに繋がった生徒の割合です。

この他に、保護者の利用、担任からカウンセラーへの相談のみに留まった生徒を含めると、その数は校内で群を抜いていると思います。

一人で生徒と関わるより、保護者の方の安心に繋がっているようです。

私が知る限り、望ましいカウンセリング利用率というような指標は聞いたことが有りません。

在籍数や教育成果に直結するKPIと比べると誰も気にしていませんし、高いから良い、低いから悪いと言った類のものでは無いと思います。

むしろ、伝統的な教員の世界では、そもそも問題を出さないことや、教員の力量で解決することの方が尊ばれるのかも知れません。

ただ、私自身は生徒の悩みを適切に共有・相談出来ているか、すなわち自分のコーディネーターとしての技量を測るバロメータと捉えているので、それなりに意味のある数値だと思っています。

福井の中2自殺に関する報道を見ていると、学校がこの生徒について、スクールカウンセラーに一切相談していなかったことが分かっています。

想像するに、このような機能不全に陥ったことと、“伝統的な”教員の世界のカルチャーは無縁では無いと私は考えます。

恐らく、学校業界の中には潜在的に、カウンセラーやその他サポーターの役割と効果に対する無理解が有り、保護者にもカウンセリング利用に対するネガティブイメージが有るのではないかと思います。

教員の怠慢、或いは自身の能力についての過信と言っても良いかも知れません。

学校教育の末端を担う教員として言葉を選ばずに言うと、学校内でスクールカウンセラーが上手く機能しないケースの殆んどは、コーディネーターとなる教員の無知によるものが大半だと思います。

そうでなければ、そういった支援者を巻き込んで相談体制を構築・運営出来ないマネージャーの無能の為です。

機能不全に陥ることを避け、人命に関るような不幸を防ごうと思うのであれば、学び続けるしか有りません。

単に繋ぐと言っても、生徒の悩みをキャッチする力と、自分なりの見立てや見通しを持ち、SCへ相談する明確な意図が求められます。

カウンセラーや他の支援者に対する敬意を持った上で、生徒の課題を抱え込みすぎず、密なコミュニケーションを取り合うこと。

魔法のような解決策では無いですが、そういったことを意識し続けなければ、どの学校でも同じことが繰り返されるのだと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

どこでも起こりうる恐ろしさ

福井の中学2年生の痛ましい事件についての報道が続いています。

新たな記事を見るたびに、怒りと言うより無力感を感じます。

まず目を引くのは教員による不適切な関りですが、背景に有るのは学校現場の様々なレベルの機能不全です。

学校全体としての指導体制、情報共有や組織風土、生徒の悩みをキャッチする仕組み、管理職の責任。

第三者委員会による事実の洗い出しが不可欠ですが、教育委員会や学外の支援機関も、学校現場で不適切な指導がなされ、中2生徒がこのような決断に至ってしまうまでに何の抑止力も持たなかった訳です。

一教員として感じるのは、いくつかの条件が重なれば、どんな教員でも加害者になる可能性があるということ。

そして、閉ざされた学校はそうした暴力を助長し、見過ごす温床となりうることです。

余りに大きく、根深い問題をどのように受け止めれば良いのかまだ分かりません。

続けて考えてみたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)