秘めた能力の束と決断

教員として生徒と関わっていると、私などでは到底及びもしないような才能にしばしば出会います。

知的能力のこともあれば、身体能力、対人能力、ある分野への情熱など、状況は様々です。

何かしら優れた資質を持っていることは素直に誇って良いことだと思いますし、そのままどんどん進んでいって欲しい。

しかし、際立った能力の芽を持ちながらも、体調やメンタル面の要因から力を上手く発揮出来ず、高校生活での夢・目標との間で悶え苦しむ場面を目にすることが有ります。

15年前後の限られた人生の中で、それ程までに真剣に悩み抜く生徒に掛けられる言葉は僅かです。

勿論、一支援者としては、必要以上の失敗体験をさせたくないという思いは持っています。

それでも、例えば二者択一の中から両方を選び取る生徒が居たら、自分は止めることは出来ません。

先日した面談をしたある生徒は、元々持っていた入学時の希望には区切りをつけ、一つの選択をすることになりました。

どうやら、表現の世界では無く、教育やメンタルヘルスの分野を目指すようです。

今はまだ、劣等感のようなものに苛まれているかも知れません。

しかし、自分にとってより大切なテーマに気づいたり、自分の状況を理解しながら取捨選択をしていくことは、何ら恥じることでは無いと思います。

教員が出来る唯一のことは、生徒自身が悩み抜いて出した決断を尊重し、受け止めることです。

勇気を持ってした決断を、心から讃えたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

小学生と向き合う仕事

今月に入って、小学校の教師を目指している二人の生徒から話を聞く機会が有りました。

それぞれが、自分の心やこれまでの体験に根ざした動機を持っていて、真剣に悩み、考えているようです。

僕自身は、高校生の頃は教師になりたいという真っ直ぐで強い気持ちは持っていなかったので、少し眩しい思いがします。

そして、生徒が語る言葉に惹き付けられている自分に気がつきます。

頭に浮かんでくるのは、

「僕もいつか、小学生に教える仕事をしてみたいな」

という思いです。

最近そう感じるようになったきっかけの一つは、いじめ被害児童の保護者が書いた生々しい記録を綴った書籍を手に取ったことに有ります。

もしかしたら、不登校経験を持つ生徒と日々面談をする中で、彼・彼女らの小学校時代の経験が、今なお大きな影を落としていることも影響しているかも知れません。

生々しい体験が記された本を読んだり、生徒の声に耳を傾けていると、自分も小学校高学年という時間の中で苦しい思いをしたことが思い出されます。

幸いにも、そのせいで自分の足元が揺らぐようなことは有りません。

しかし、そこには特別な「何か」が有ります。全く忘れてしまうことは出来ません。

高校生や10代後半の生徒と向き合うことは自分にとって大事なテーマですし、ずっと続けたい。

しかし、いつかはもっともっと下の年代の所まで遡って関わってみたい。

そんな願望を感じています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

届くこと

この一週間は、自分自身の気持ちが大きく揺さぶられる日々だった。

年度末がすぐそこに迫っているにも関わらず、生徒本人にも保護者の方とも殆ど繋がることが出来ず、学校として良い関わりが出来なかったケースが1件や2件では無いからだ。

教員としては無力感を感じるし、心に澱のようなものが溜まっていく。

自分の仕事、自校のサービスに価値がないと見做されているのであればそれは変え続けるしか無い。

様々な事情から高校卒業を待たずして社会人としての自立を優先する生徒も居るし、10代でも既に経済的に自立している生徒も居る。

しかし、未だそれも難しい、様々な意味で支援が必要と思われる家庭が教育の場から離れていく実情がある。

より良い居場所や社会資源に繋がれば良いが、楽観的に思えないことも多い。

学校に軸足を置いて、それを生業としている自分の考えるべきことはシンプルで良いのかも知れないが、矛盾を感じることが増えてきている。

本当に必要としている人に届いていない。

それとは別に、教員として嬉しい、濃密な時間もいくつかあった。

先日も、対人関係や心身の面で苦しい思いをつつも、自己をきちんと内省しながら成長する生徒の姿を目の当たりにすることが出来た。

心の中は将来について不安でいっぱいだと思うが、もう少しだけ努力をしてみようという表情を見ると、心が震える思いがする。

他にも、この一年間学校から離れていても、変化を求めて行動している知らせを聞けて驚く場面も有った。

リーチする方法、キャッチする方法をもっと考えて行かなければならないと思う。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

支援が動き始める瞬間

今週一週間の仕事をしていて、

「今、このタイミングで面談が出来て本当に良かった。」

「一本の電話が相手に繋がり、声を聞くことが出来て良かった。」

と思えることがいくつかあった。

少しずつだが、支援が機能し始めた手応えを感じる。

ただ、冷静になって振り返ると、予想通りに進んだことばかりでは無い。

自分も教育者・支援者の端くれでは有るので、生徒の日々の様子や発達上の課題、家族の状況等にも注意を向けながら、「見立て」のようなものを持って仕事をしている。

ある程度正確な見立てが有り、生徒や保護者の方から信頼して頂ける関係性や協力体制が築ければ、支援はどんどん進む。

状況が大きく変わることや、新たな問題が発生することもしばしばだが、土台さえしっかりしていれば新たな機会に繋げられる。

しかし、実際には自分の見立てなど全く役に立たず、途方に暮れることも多い。

苦しい気持ちを抑えられず、唸りながら職員室内を行ったり来たりしてしまう。

そんなケースでも、細い糸を絶やさないようにアプローチを続ける中で、予想をしていなかった変化の兆しに触れられることも有る。

もう一手、もう一歩、もう一回と、こればっかりはやり続けてみないと分からない。

くじけず、機を引き寄せたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

苦手だから出来ないこと→苦手だけど出来ること

通信制高校で仕事をしていると、生徒から対人的な悩みを聞くことがしばしば有ります。

一例を挙げると、不登校を経験をして来た生徒にとって、ペアワークやグループワークが有る授業、すなわち複数の生徒とのコミュニケーションが発生し得る場は不安の種のようです。

ここから、具体的な解決策・代替案を提示していくのが教員の役割。

ただ、こういった訴えを聞いた時、まずははごくあっさりと

「そうなんや。」

と返答するようにしています。

最初は、否定も肯定もしません。

勿論、これだけでは折角の成長の機会を逸してしまいます。

相手との関係性やタイミングにもよりますが、少しずつ

「(他の人と接するのが)好きじゃなくても、まあまあ出来るようになるかも知れないで。」

「今は出来なくても、少しずつやればハタチぐらいには出来てるかも知れないよ。」

「一人が好きなのは全然良いけど、大勢とも居られる方が生き易いよ。」

というメッセージを伝えていきます。

損得が響く生徒であれば、

「コミュニケーション力を今のうちにつけておいた方が、大人になてからおトクやで。」

「単に知識が有るだけより、色んな人と関わる力があった方がお金になるよ。」

という話をします。

直ぐには変化に繋がらなくても、そうした積み重ねが半年後・一年後の成長に響いて来るのだと思います。

余談ですが、私自身中高生の頃は人と関ることに苦手意識しか無かったですが、10代の終わりに偶々教育の世界に惹きつけられ、訓練の結果多少変わりました。

得意かと聞かれたら分かりませんが、必要な話は出来るし、そういった力を寄せ集めて生徒と関わっています。

人間には向き不向きも有りますし、苦手なものを好きになる必要は有りません。

でも、自分は苦手だと思っていることでも、まあまあ出来るようになるかも知れない。

やってみることで、自分や他者に対して新しい発見が有るかも知れませんよ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)