いま言葉にしておきたいこと

先日、2017〜2018年度に受け持った、単位制コースの生徒達の卒業式を行いました。

新型ウィルスに伴う政府・大阪府からの要請もあり、大幅に短縮された式。

諸事情で欠席した生徒もいましたが、無事終えることが出来ました。

「前の学校で上手くいかなかったことも、苦しかったことも、全部自分だ」

強さを感じる声で、そんな思いを語った卒業生代表。

家族や友人に感謝を伝える姿も立派でした。


卒業生達を送り出すこの時期。

これまでの関わりを振り返ると、自ずから教員としての自分の姿が浮かび上がって来ます。

痛感するのは、自分はアマチュアだということ。

いくつか生徒の成長をサポート出来た手応えはあるが、その数はとても限られている。

自分の力量やキャラクターが、支援者としての幅を限定してしまっているように思う。

出来ることだけやっていては、プロフェッショナルとは言えない。何より歯がゆさを感じる。

教員になった当初は、机や椅子が並んだ教室に立つだけで嬉しかったし、生徒が持つ悩みに共感できる部分を見出せること自体に心の充実を覚えた。

バットやグローブを持って、ボールを追いかけるだけで満足している子どものようなものだ。

しかし今は、もっと違った姿勢で教育に取り組んでいきたい。

プロの教育者として、その役割が持つ重みや苦しみも引き受けて、生徒の発達と向き合う。

そんな仕事がしたいです。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

どんな風に教員としての仕事を終えたいか

異動や転退職といった、組織上の変化が近づく時期。
インターンに訪れる大学生や、ベテランの先生を見ていると、「自分はどんな形でこの職を終えるのだろうか」という問いが浮かびました。

自分にとっての理想は三つ有ります。

一つは、退職する時に同僚から、「あの人が居るだけで、職員室が風通しの良い雰囲気になった気がする」と言われて辞めたい。
自分の存在が組織の健全な機能を支えたり、学校が生徒を育む場であり続けることに繋がっているとしたら、この上無い喜びだと思います。

もう一つは、たった一人で構わないから、誰かの人生に深く関わるような働きをして仕事を終えたい。
本当に助けを求めている生徒や、これまで・これからの生き方と真摯に向き合おうとしている生徒を助けられる存在になりたい。
そうでありながら、生徒自身は自分の力で成長したという手応えがあって、教員や学校のことなんて忘れてしまうような関係が望みです。

最後は、学校教育という枠組みを越えた働きをして職を終えたい。
最近亡くなった、中村哲さんのイメージのような生き方が浮かびます。
医師として目の前の人の生に向き合う中で、本質を掘り下げ、医業の枠を越えて川を作ってしまうような生き方に惹かれます。

小さな自分も嫌いでは無いですが、もしかしたら結構欲張りなのかも知れません。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

今日思ったこと

この土曜日は、職場の高校の学校説明会だった。

中学3年生や保護者の方をお迎えしながらも、頭の中では色んな考えが浮かんできた。

一昨日は行事を終え楽しい余韻に浸っていたが、今日は一日中もやもやとした思いが晴れなかった。

一言で言うと、今の自分にはギアチェンジが必要なのだと思う。

僕自身は、教員になって二年目の人間に過ぎない。

目先の仕事をするだけで汲々としている。

(例えば、日本史や世界史、現代社会の授業をするだけでも一苦労だし、そこに明快なメッセージを込めるとなると、大変な力量が要る。)

ただ、生徒たちを取り巻く社会の状況や、提供しなければいけないもの、自分の持ち時間を考えると、まずは目の前の仕事をと言っているだけでは遅すぎるし、いつまで経っても時間は出来ない。

そうしている間にも、色んなものがどんどんこぼれていってしまう。

自分が3年先、5年先に出来るようになっていたい事も、不完全でも良いからどんどん手をつけていかなければいけない。

確かな力をつける為の準備も要る。

もっともっと欲張って、望む仕事が出来るようなキャリアを自ら作っていこうと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

進路はキレイになんて決まらない

いつも有り難うございます、水溪です。
職業柄、高校生と進路について話すことがあります。
「将来、○○という仕事に就きたい。だから、卒業後は××という学校で学びたい。」と、はっきりとした目標を定めている人もいれば、
「なれるかは分からないけど、××という仕事に興味がある。」
「大学には行ってみたい。」
「きちんと仕事をして、経済的に自立したい。」
という声も耳にします。
皆、自分なりに真剣に考えようとしているのが伝わってきます。

教員としての自分は、進路は良く分からないという生徒に対しては、必死で興味の断片を引き出そうと努力します。
でも、一個人としては「そんな、進むべき進路についての答えが魔法のように見つかる訳無いよ。」という思いも一寸だけあります。

少なくとも私は、高校生の頃なぜ勉強をするか分かっていませんでしたし、大学が何をする所かも良く知りませんでした。
(そこに、保護者に経済的に依存している人間の甘えや、勉強に対する怠惰さがあったのも事実ですが。)

悩んでいる生徒に対してこれだけは伝えたいのは、まずは「自分がやりたいのはこういう事なんじゃないか。」という小さな仮説を持って、それを検証し続けると言うこと。

前述した仮説を検証する材料となるのは、自分の気持ちや理想、適性、お金や生活の事だったり、社会のニーズだったりそれこそ沢山あります。
こればっかりはキレイな答えなんて無いし、悩んで当然です。

僕もこの10年間、蛸壺に入ってウンウン悩んだり、冷や汗をかいたり、人に学んだり、痛い目にあったりして考え続けています。
どんくさい生き方かも知れませんが、悪くは無いですよ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)