支援が動き始める瞬間

今週一週間の仕事をしていて、

「今、このタイミングで面談が出来て本当に良かった。」

「一本の電話が相手に繋がり、声を聞くことが出来て良かった。」

と思えることがいくつかあった。

少しずつだが、支援が機能し始めた手応えを感じる。

ただ、冷静になって振り返ると、予想通りに進んだことばかりでは無い。

自分も教育者・支援者の端くれでは有るので、生徒の日々の様子や発達上の課題、家族の状況等にも注意を向けながら、「見立て」のようなものを持って仕事をしている。

ある程度正確な見立てが有り、生徒や保護者の方から信頼して頂ける関係性や協力体制が築ければ、支援はどんどん進む。

状況が大きく変わることや、新たな問題が発生することもしばしばだが、土台さえしっかりしていれば新たな機会に繋げられる。

しかし、実際には自分の見立てなど全く役に立たず、途方に暮れることも多い。

苦しい気持ちを抑えられず、唸りながら職員室内を行ったり来たりしてしまう。

そんなケースでも、細い糸を絶やさないようにアプローチを続ける中で、予想をしていなかった変化の兆しに触れられることも有る。

もう一手、もう一歩、もう一回と、こればっかりはやり続けてみないと分からない。

くじけず、機を引き寄せたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

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苦手だから出来ないこと→苦手だけど出来ること

通信制高校で仕事をしていると、生徒から対人的な悩みを聞くことがしばしば有ります。

一例を挙げると、不登校を経験をして来た生徒にとって、ペアワークやグループワークが有る授業、すなわち複数の生徒とのコミュニケーションが発生し得る場は不安の種のようです。

ここから、具体的な解決策・代替案を提示していくのが教員の役割。

ただ、こういった訴えを聞いた時、まずははごくあっさりと

「そうなんや。」

と返答するようにしています。

最初は、否定も肯定もしません。

勿論、これだけでは折角の成長の機会を逸してしまいます。

相手との関係性やタイミングにもよりますが、少しずつ

「(他の人と接するのが)好きじゃなくても、まあまあ出来るようになるかも知れないで。」

「今は出来なくても、少しずつやればハタチぐらいには出来てるかも知れないよ。」

「一人が好きなのは全然良いけど、大勢とも居られる方が生き易いよ。」

というメッセージを伝えていきます。

損得が響く生徒であれば、

「コミュニケーション力を今のうちにつけておいた方が、大人になてからおトクやで。」

「単に知識が有るだけより、色んな人と関わる力があった方がお金になるよ。」

という話をします。

直ぐには変化に繋がらなくても、そうした積み重ねが半年後・一年後の成長に響いて来るのだと思います。

余談ですが、私自身中高生の頃は人と関ることに苦手意識しか無かったですが、10代の終わりに偶々教育の世界に惹きつけられ、訓練の結果多少変わりました。

得意かと聞かれたら分かりませんが、必要な話は出来るし、そういった力を寄せ集めて生徒と関わっています。

人間には向き不向きも有りますし、苦手なものを好きになる必要は有りません。

でも、自分は苦手だと思っていることでも、まあまあ出来るようになるかも知れない。

やってみることで、自分や他者に対して新しい発見が有るかも知れませんよ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

教員が担うべきコーディネーターとしての役割

12.5パーセント。

私が担任として受け持つ1年生40人のうち、この半年間でスクールカウンセラーに繋がった生徒の割合です。

この他に、保護者の利用、担任からカウンセラーへの相談のみに留まった生徒を含めると、その数は校内で群を抜いていると思います。

一人で生徒と関わるより、保護者の方の安心に繋がっているようです。

私が知る限り、望ましいカウンセリング利用率というような指標は聞いたことが有りません。

在籍数や教育成果に直結するKPIと比べると誰も気にしていませんし、高いから良い、低いから悪いと言った類のものでは無いと思います。

むしろ、伝統的な教員の世界では、そもそも問題を出さないことや、教員の力量で解決することの方が尊ばれるのかも知れません。

ただ、私自身は生徒の悩みを適切に共有・相談出来ているか、すなわち自分のコーディネーターとしての技量を測るバロメータと捉えているので、それなりに意味のある数値だと思っています。

福井の中2自殺に関する報道を見ていると、学校がこの生徒について、スクールカウンセラーに一切相談していなかったことが分かっています。

想像するに、このような機能不全に陥ったことと、“伝統的な”教員の世界のカルチャーは無縁では無いと私は考えます。

恐らく、学校業界の中には潜在的に、カウンセラーやその他サポーターの役割と効果に対する無理解が有り、保護者にもカウンセリング利用に対するネガティブイメージが有るのではないかと思います。

教員の怠慢、或いは自身の能力についての過信と言っても良いかも知れません。

学校教育の末端を担う教員として言葉を選ばずに言うと、学校内でスクールカウンセラーが上手く機能しないケースの殆んどは、コーディネーターとなる教員の無知によるものが大半だと思います。

そうでなければ、そういった支援者を巻き込んで相談体制を構築・運営出来ないマネージャーの無能の為です。

機能不全に陥ることを避け、人命に関るような不幸を防ごうと思うのであれば、学び続けるしか有りません。

単に繋ぐと言っても、生徒の悩みをキャッチする力と、自分なりの見立てや見通しを持ち、SCへ相談する明確な意図が求められます。

カウンセラーや他の支援者に対する敬意を持った上で、生徒の課題を抱え込みすぎず、密なコミュニケーションを取り合うこと。

魔法のような解決策では無いですが、そういったことを意識し続けなければ、どの学校でも同じことが繰り返されるのだと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

心の鍵

学生の頃。

通信制高校における支援について身をもって教えて下さったのは、当時ECC学園高等学校に勤めておられた金馬宗昭先生だった。

金馬先生とは、2005年に門を叩いたNPO法人ノンラベルで知り合い、後に非常勤講師として高校に通わせて頂いた。

 

暖かくて、まるで金馬先生のお人柄が形になったような学校だと思った。

金馬先生が生徒と雑談する表情には、いつも相手への関心と愛情が溢れていた。

毎朝早くに出勤され、前日に生徒が学んだ机を雑巾で拭いておられた事をよく覚えている。

静かな朝の教室に漂う空気から、何事かを感じ取っているようでもあった。

 

先生がECCで働くまでの経緯は、後に出版された著書を読むまで知らなかった。

  • 金馬宗昭『不登校、ひきこもり-こころの解説書―僕がひきこもりだったときに言えなかったこと』(学びリンク)

この本の中に、「学ぶこと、そして心の扉の鍵を持つこと」という一節が有る。

確か、次のような内容だったと思う。

学校で生徒の悩みや苦しみと向き合う中で、誰かがその心の扉を開けなければならない場面がやってくる。

その時、教員がその子に合った心の鍵を持っていなければならない。

 

僕自身は、新卒で教員になる道を選ばず、会社勤めをしている時にこの本と出会った。

自分なりの目標や、まずは自分自身を鍛えたいという決断があってその進路を選んだつもりだ。

ただ、根底には

「自分は、そんな心の扉の鍵なんか持って居ないんじゃないか。」

という不安があった。

自分にその資格が有るのか怖かったのだと思う。

 

心から求める事と改めて向き合った結果、少し遠回りして教員になった。

生徒を理解することは、なかなか難しい。

でも、上着やズボンのポケットを探して見れば、僕も2~3本ぐらいだったら鍵を持っているんじゃないかな、という気が最近はしている。

今の僕が多少なりとも教員らしい事が出来ているとしたら、それは金馬先生のお陰だと思う。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

成長の時間

暖かい日曜日。
学生時代に非常勤講師をしていた高校の卒業生と一緒に、長岡京に有る『すずかけ教育相談所』を訪ねて来ました。

所長の金馬先生は、「教育の仕事がしたい。」という思いを持って大学生活をスタートした私に、通信制高校における支援について身をもって教えて下さった方。

この日は、久しぶりに再会した卒業生の近況を一緒に聞きながら、この一年間で取り組んでいくべき事について話をしました。
いずれも、大学卒業後を見据えた将来の話です。
卒業生の様子を見ていると、その身体の中でしっかりとした成長の時間が流れていることが感じられます。

相談室の窓からは、薄曇りながら明るい春の日差しが射し込んでいました。

人の成長は目に見える一方、自分の事はなかなか分かりません。
10代の頃と比べると多少は進歩したつもりですが、未だに右往左往してばかり。
僕自身、新学期を迎える前に一度頭の整理をしなければならないように思います。

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水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)