10年選手

私の周りには、教育の仕事をして10年以上経つ同僚が何人かいます。

そうした先輩と自分を見比べると、力の差は歴然です。

例えば、仕事の正確さや生徒に伝える力、言葉に込める重みといったもの。

一緒に生徒指導の場に入ったり、学年集会で生徒に語りかける場を目の当たりにしたりすると、特に差を感じます。

それだけではありません。

自分達が属する通信制高校業界の社会的意義への理解、将来を見通した上で今後組織全体の為に自分がどう行動すべきかについても、見えているものが違うように思います。

今仮に、教員として求められるスキルを10のジャンルに分けて競ったとしたら、10年選手の同僚には一つも勝てないだろうと思います。

教師を生業にすると決めてから5年が経とうとしていますが、唯一無二の存在からは程遠い自分に愕然とします。

指導の確からしさ、教員としての力量の差はどこから生まれるのか。

ごくシンプルに考えると、目の前の生徒や様々な出来事、授業の1コマ1コマに知恵を絞って全力を注ぎ、徹底し続けてきた結果が腕に宿っているのだと思います。

今の自分はまだ、冷や汗を搔きながら日々を過ごしている。

手放しで仕事が楽しいとも言えない。

ただ、教員として10年経った時、身につけた力量や知見を、誰かの為に自由に発揮出来る自分になっていたいとは思います。

水溪 悠樹

授業力研修の振り返り

8月上旬に、2日間にわたって授業力についての研修がありました。

3週間が過ぎた今だから冷静に振り返ることが出来ますが、歯痒く、心中穏やかでは無かったです。

苦い思いも含めてきちんと向き合えるよう、感じたことを3つ記しておきます。

一つ目は、1~2年目の先生方の力量の高さに心底驚いたこと。

私の受け持ちは、地歴公民科の授業。これまで、双方向型授業の重要性は理解しつつも、教科の性質上ある程度知識伝達型の授業スタイルになることは止むを得ないという思いを持っていました。

しかし、研修で見た自分より10歳近く若い先生の授業は、豊富な発問や言葉のキャッチボールで参加者を引き込む見事なもの。

何のことはない、私の表現力の弱さや思い込みが授業の幅を狭めていた訳です。

二つ目は、研修に至るの時間の使い方と仕上げる意識について。

いい加減な気持ちで研修に臨んだつもりはありませんが、日々の業務に溺れないよう水面に顔を出しているだけで精一杯になり、準備不足が否めないまま当日を迎えてしまいました。

他方、同僚は誰一人そんな言い訳はせず、限られた時間の中で自分の授業を仕上げて成果を出しています。(自分よりずっと多くのことをしているにも関わらず!)

定められた締め切りまでに自分の表現を磨き上げ、授業時間の中で表現し尽くす。そういった種類の集中力やタイムマネジメントの力の弱さを痛感します。

また、入職時より仕事上の大失敗は減ったものの、それに安心してしていた甘えの気持ちもあるように思います。

10年選手の先輩や同僚に頼んで自分の試みを見て貰い、集団の中で磨かれる機会をもっと求めて行かなければならないと感じました。

三つ目は、自分の不器用さを再認識したこと。

私は自身の特性上、ノリや自前の引き出しで「それっぽく伝える」ということが出来ません。逆に言うと、時間を掛けて授業の目的や前提知識を深め、伝える為の構造を身体レベルまで落とし込んだ上であれば、そこから生まれた余裕で初めて気持ちを乗せることが出来ます。

つまり、処理能力上、話の構造を意識することと感情を込めることの2つを両立することは困難です。我ながら非常に難儀ですが、自分自身と他者ををごまかすことが出来ない以上、愚直にやり続けるしかないように思います。

最後に余談を。

10代の終わりに表現の世界に憧れていた頃。自分なりに努力はしましたが、結局は自分自身を前面に押し出す強さはありませんでしたし、これだけは表現しなければ生きていけないというテーマは見出せませんでした。

教員として働く今、目の前には生徒がいます。取り扱うべきテーマのもとで、授業でどのように表現するかは私次第。それこそ、学校生活の中での様々な場面も含めると、伝えられることは無限です。

人に対して伝えられる幸福と責任を噛み締めながら、もっと楽しんで取り組めるようになりたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

言葉が実になる時間

先日、ある保護者の方と電話で話をしている中で、不思議な感覚がありました。

何が不思議だったかと言うと、必死になって話しをする中で、支援者が用いる用語とロジックを、自分自身の言葉のように口にしていることに気づいたからです。

意識的に福祉業界や教育現場で働く人たちから学び始めたのは、大学入学を機に関西へやって来た2005年になってからのこと。

現在、生徒・保護者との関わりの中で使っている言葉は、先輩支援者のもとで見聞きしたことや、本で知ったことの組み合わせに過ぎません。

学び吸収した言葉や知識が10年以上の時間を経て、今度は自分自身の思いと一緒に発せられることに、素直な驚きを感じます。

自分の言葉として使えるようになるまでの時間の長さにあきれるばかりですが、20代前半の行動の果実を確かに受け取ったと感じた瞬間でした。

こんなことを敢えて書いた背景には、この所ずっと、自分の能力の有限性にとらわれていた事情があります。

私は昔から、何かを覚えたり習得するのに、非常に時間が掛かる性分です。

日々の教育活動でも、今学んでいることについても、自分の不器用さに倦んでくることが多々有ります。

ただ、長いスパンで身につき自分の力として発揮されることもある。

焦りも有りますが、そういう気持ちを大切にやっていきたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

生徒指導担当としての役割

昨日までの3日間、独立行政法人教職員支援機構が主催する「いじめの問題に関する指導者養成研修」に出席させて頂きました。

研修期間を通じて、生徒指導・生活指導を担う自分の役割が見えてきました。

シンプルに考えると、次の3つに集約されると思います。

  1. 生徒を守ること
  2. 教職員を守ること
  3. 学校を守ること

生徒を守り育むことに直結しない指導は、何の意味も有りません。

自分のすべきことでは無いと思います。

取り返しのつかない事態を未然に防ぎ、教員や組織を守ることも必要です。

一教員として、一つ一つ出来ることをやっていきたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

新しいスタートの日

仕事をしている高校の入学式が有りました。

前日は、会場としてお借りしている大阪市の中央公会堂でリハーサル。

生徒の様子を見守りながら、

「入学式というこの日が、長い人生の大きな転換点になるかも知れないと感じてくれていたら良いな…。」

とぼんやり考えていました。

式当日は一人ひとりが壇上で自分の大志を語るのですが、皆とても良い顔をしていました。

私のクラスには、素直で真っ直ぐな子や知的な生徒、スケールの大きい人物が集まっている印象。

この日、この一年が大きな節目になるのは、僕自身も同じかも知れません。

今から、とてもワクワクしています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)