子どもの世界

5月の下旬に休みを取った。目的は、3歳の子どもが通うこども園の保育参加。保育士体験という形で、普段の様子を見ることが出来る。

4月から新しい園に移った我が子。環境変化はに今一つしっくりいっていないようだったし、同じ年代の子どもの発達や幼保の世界にも興味があった。

朝の登園の後、私はいったん帰宅して家事。9時半頃に園の指定の部屋に向かうと、3歳児クラスの子がそれぞれのテーブルに複数人で座り、思い思いの遊びをしている。我が子もその一つでブロックをしている。子ども達は見知らぬ大人の来訪に興味津々のようで、「だれのママ?」と聞いてくれる。基本的に、皆同時に話しかけてくる。これは大変だ。四方の声に耳を傾ける。そうしながらも子どもの変化や異変に気づき、適切な指導・支援をする保育士さんは本当に凄いと思う。自分も教員として対人支援を担っているつもりでいたが、求められる感度や反射神経のレベルが全く異なる。体験はお昼前までの2時間ほど。朝の会での歌、園庭でのかけっこ練習、着替えに立ち合い、本の読み聞かせもさせて貰った。あっという間だったが、特に印象に残ったことをメモしておきたい。

一つ目は、子ども同士のトラブルとその対処。3歳児たちは、実に様々なことで衝突する。たまたま身体がぶつかる、使いたい玩具をめぐっての諍い等、挙げだしたらキリがない。3歳児達は、頭がぶつかって転んだとすると、感情的になって相手を押し返したりする。勿論、先生方は都度声を掛けたり、謝るよう促したり、物を巡るトラブルであれば「じゅんばんこ」のルールを言い聞かせたりしている。ただ、基本的に誰かが一方的に悪いわけではない。腹が立つ思いや悔しい気持ちも、一つ一つの感情を受け止め、集団の中でそれをじっくり味合わせているように見えた。10代の教育の場だと、問題の原因から離すことを考えてしまいがちだが、こうした感情と向き合うことが情緒面の発達に欠かせないのだろうと感じた。

二つ目は、自立を促す関わり。1歳・2歳児向けのクラスと比べると、活動ごとの準備や着替え、トイレ等、年齢に応じた身辺自立の力が沢山求められる。(1歳・2歳児向けのクラスでも、荷物の準備など段階的に自立が促されている。)勿論困難な場面では適切な支援がなされるが、手を貸し過ぎるのではなく、自分で出来るよう見守ることに重きが置かれているようだった。

 三つ目は、集団の力について。20代の頃に心理職・福祉職に興味があったので、「集団力動」という言葉は聞いたことがあったが、それをとても感じた。土日に家で見る我が子は、着替え・片付け・気持ちの切り替えが苦手で、とても甘えん坊に見える。ただ、同じ年代の子がいる保育園では、その場の力に支えられて頑張って取り組んでいるようだ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

物語る父

私立高校を退職した父は、週のうち何日か、生家である真宗の寺で働いている。

年末の帰省時に話をすると、「若い頃は芥川龍之介のことを凄いと思っていたが、最近は森鴎外を凄いと思うようになった」と熱心に語り、二三の作品名を挙げた。

目が悪くなったようで、手元で繰って見せる本の活字はとても大きい。

法話の材料にするつもりなのだろう。必要なことはノートにメモし、一言一句覚えていると言う。

父のこうした姿勢は、国語教師であった頃からずっと変わらない。

でもしか教師を自認する父だが、70代の後半になっても、何かを読み、咀嚼し、誰かに語ろうとし続けていることがおかしくもあった。

年が明けてから、父が読んでいた『最後の一句』を開いてみたが、自分には良く分からなかった。

作品の舞台となった江戸時代中期の様子や、鴎外の人と文学について無知なので、当然のことのようにも思う。

あるいは、それらの理由は全く関係無いのかも知れない。

大体が、四十近く年の離れている父が夢中になっていることやその時の気持ちは、自分にはいつも実感が伴わないことが多い。

親子関係とは、そんなものなのかも知れない。

(今の時点では、生来の反骨精神と、様々な屈託が合わさってこの作品に心惹かれるようになったのだと想像しているが、実際のことは分からない。)

きっと、10年・20年後に分かることもある。

また、時々思い出して読んでみよう。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

自分の子どもにどのように育って欲しいか

年末年始の冬休み。地元に帰省した以外は、妻と1歳になる子どもと3人で静かに過ごした。

時間があったので、自分は子どもにどのように育って欲しいと思っているのかを少し考えた。

大切にしたいことは、5つある。

第一に、丈夫であること。

幸い、今のところ大きな病気も無く健やかに育っているが、心身のことは今後どうなるかは分からない。だからこそ、出来うる限り丈夫に育つように見守りたい。レジリエンスという言葉より、もっと単純なもの。何よりも、これが一番。

第二に、「有難う」「ごめんなさい」が伝えられること。

自分の子どもなので、対人的に不器用な所も出てくるかも知れない。社会性の乏しい利己的な人間になっても構わないが、この二つ言葉が指し示す感情だけは、きちんと表現できるように育てたい。

第三は、物事を面白がれる・感動出来る感受性を持つこと。

今の時代、沢山の情報や知識に触れられる。でも、目の前の現象や体験したことを、素直に面白がったり、不思議に思えるような気持ちを育みたい。奇麗だな、美しいなという気持ちも。

第四は、中学校までの学習は確実に身に着けること。

将来、いつどんなタイミングで、何の勉強がしたくなるかは分からない。子どもがどのような分野に進んでも、読み書き計算と、それらに集中して取り組む力さえあれば、大抵のことは出来るように思う。

第五は、うまくまとまらなかった。

社会での自分での役割を見つける、誰かの為に役立てる、何かを生み出せる人、…と言ったキーワードが浮かんだが、どれもしっくり来ない。それはもう、私が子どもに求めることじゃないし、大切だと思うなら自分がやれば良い。極論、成人した息子がどう生きようが知ったこっちゃない。

最後に求めるのは、「自分の生き方を、自分で決める」ということなのだと思う。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

始業式に並ぶ顔

午前と午後の2回に分けて、勤務校の始業式があった。

教室に何十人と集まった生徒の顔を眺めていると、生まれ育った場所も違う沢山の10代が、こうして目の前に集まっていることに不思議な感じがした。

普通だったら、お互いに出会うことも無い人たちだ。

当然、生徒は私になど何の関心も持ってはいないが、教員という役割を通じて、日々何かを投げ掛けることが出来る。

そういう意味では、学校ってやっぱり凄い発明だと思う。

そんな思いが頭に浮かんだ。

教員生活7年目も残すところ2か月と少し。

自分の中に、まだまだこの仕事を新鮮に感じたり、驚いたりする真っ新な気持ちがあるようだ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

ふわふわとした感覚

小中学生は知らないが、高校生は「教員」であるというだけで教師を有難がったりはしない。

「この人は、どうやら物が分かる人間のようだ」

「この人とだったら、一緒に学んでみるのも悪くないな」

そんな風に思って貰って初めて、先生として認められるように思う。

そうした年代だからこそ、中等教育という仕事が気に入っている。

4月から新しい拠点での勤務となり、白板の前で最初の一週間の授業を何とかこなした。

私は決してセルフモニタリングが得意な人間では無いが、生徒が自分を見る目や教室の空気感から想像すると、まだ自分が評価の定まらない存在であると感じる。

個々にも、集団に対しても信頼関係と呼べるようなものが出来ていない、ふわふわとした関係だ。

これまでいたキャンパスでは、自分のキャラクターや言動、授業のスタイル等がある程度認知されていて、生徒の方もそういう先生として扱ってくれるある種の気楽さがあった。

しかし、新しい職場ではそうしたイメージ、関係づくりはゼロからスタートする。

少しだけ落ち着かない。

しかし、色んな可能性がある。

もっともっと変われるのではないかという期待を感じています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)