緊急事態宣言下の高校で変わったこと・変わらないこと

4月7日に緊急事態宣言が発令されて以来、勤務する高校でも休校が余儀なくされ、生徒は依然一日も登校出来ていない状況が続いている。

この2週間は、教員も交互に在宅勤務を交えながら、朝9:00に始まるオンラインのショートホームルームや、主に午前中3時間の枠に組まれたZoomでの授業の対応に追われていた。

3月の末には、教員にとってのルーティンの意味についての記事を書いたばかりだったが、あっという間に仕事の形が変わってしまったように思う。

今年は1年生のクラスを受け持たせて頂いたこともあり、毎朝PCの画面を通じて30人の生徒に声を掛け、様々な不備に対する問い合わせに応え、合間にはオンライン上で保護者を交えた三者面談を行った。

初めてのことばかりだが、面談で生徒や保護者の方に伝えることは余り変わらない。

まずは、この2週間きちんと朝起きて、SHRの為にネットにアクセスし、生徒自身が良い習慣の土台作りを続けていることを褒めている。その上で、今感じている不安を解消する為のコミュニケーションを重ねる。場合によっては、直近の小さな目標を一緒に立てる。

まずは生徒に聞き、その上で保護者の方に質問する。専門の心理職・福祉職の人には及ばないが、保護者が話している時の子どもの表情や仕草から、画面越しとはいえ様々な情報を受け取ることが出来る。

幸い、多くの方から、

「入学前は、なかなか朝起きられないことが続いていたが、オンライン上で朝のSHRや授業があることで、本人も頑張って起きられている」

「まだ実際に登校できないことには残念な気持ちもあるが、(少ない負荷の中から取り組むことが出来て)結果的に良かったと思う」

と言うようなお声を頂いた。

勿論、中にはネット環境が未整備で電話でのフォローが欠かせないご家庭もあれば、中々思うように動き始めることが出来ない生徒も居る。授業全体の数や、自分の受け持つオンライン授業の質にもまだまだ改善の余地は多い。

しかし、不登校経験や様々な悩みを持つ生徒が居る私達の高校において、不完全とは言え家庭にリーチし、学習を支援する取り組みがスタート出来たことは本当に良かったと思う。

全員には充分届いていない苦しさと、形は変われど30人の生徒に関与出来る喜びを噛み締めている。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

教員は、出勤日を分け各フロアに分散して仕事をしています。Zoomを使用する際は一人で教室へ。

秘めた能力の束と決断

教員として生徒と関わっていると、私などでは到底及びもしないような才能にしばしば出会います。

知的能力のこともあれば、身体能力、対人能力、ある分野への情熱など、状況は様々です。

何かしら優れた資質を持っていることは素直に誇って良いことだと思いますし、そのままどんどん進んでいって欲しい。

しかし、際立った能力の芽を持ちながらも、体調やメンタル面の要因から力を上手く発揮出来ず、高校生活での夢・目標との間で悶え苦しむ場面を目にすることが有ります。

15年前後の限られた人生の中で、それ程までに真剣に悩み抜く生徒に掛けられる言葉は僅かです。

勿論、一支援者としては、必要以上の失敗体験をさせたくないという思いは持っています。

それでも、例えば二者択一の中から両方を選び取る生徒が居たら、自分は止めることは出来ません。

先日した面談をしたある生徒は、元々持っていた入学時の希望には区切りをつけ、一つの選択をすることになりました。

どうやら、表現の世界では無く、教育やメンタルヘルスの分野を目指すようです。

今はまだ、劣等感のようなものに苛まれているかも知れません。

しかし、自分にとってより大切なテーマに気づいたり、自分の状況を理解しながら取捨選択をしていくことは、何ら恥じることでは無いと思います。

教員が出来る唯一のことは、生徒自身が悩み抜いて出した決断を尊重し、受け止めることです。

勇気を持ってした決断を、心から讃えたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

小学生と向き合う仕事

今月に入って、小学校の教師を目指している二人の生徒から話を聞く機会が有りました。

それぞれが、自分の心やこれまでの体験に根ざした動機を持っていて、真剣に悩み、考えているようです。

僕自身は、高校生の頃は教師になりたいという真っ直ぐで強い気持ちは持っていなかったので、少し眩しい思いがします。

そして、生徒が語る言葉に惹き付けられている自分に気がつきます。

頭に浮かんでくるのは、

「僕もいつか、小学生に教える仕事をしてみたいな」

という思いです。

最近そう感じるようになったきっかけの一つは、いじめ被害児童の保護者が書いた生々しい記録を綴った書籍を手に取ったことに有ります。

もしかしたら、不登校経験を持つ生徒と日々面談をする中で、彼・彼女らの小学校時代の経験が、今なお大きな影を落としていることも影響しているかも知れません。

生々しい体験が記された本を読んだり、生徒の声に耳を傾けていると、自分も小学校高学年という時間の中で苦しい思いをしたことが思い出されます。

幸いにも、そのせいで自分の足元が揺らぐようなことは有りません。

しかし、そこには特別な「何か」が有ります。全く忘れてしまうことは出来ません。

高校生や10代後半の生徒と向き合うことは自分にとって大事なテーマですし、ずっと続けたい。

しかし、いつかはもっともっと下の年代の所まで遡って関わってみたい。

そんな願望を感じています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

届くこと

この一週間は、自分自身の気持ちが大きく揺さぶられる日々だった。

年度末がすぐそこに迫っているにも関わらず、生徒本人にも保護者の方とも殆ど繋がることが出来ず、学校として良い関わりが出来なかったケースが1件や2件では無いからだ。

教員としては無力感を感じるし、心に澱のようなものが溜まっていく。

自分の仕事、自校のサービスに価値がないと見做されているのであればそれは変え続けるしか無い。

様々な事情から高校卒業を待たずして社会人としての自立を優先する生徒も居るし、10代でも既に経済的に自立している生徒も居る。

しかし、未だそれも難しい、様々な意味で支援が必要と思われる家庭が教育の場から離れていく実情がある。

より良い居場所や社会資源に繋がれば良いが、楽観的に思えないことも多い。

学校に軸足を置いて、それを生業としている自分の考えるべきことはシンプルで良いのかも知れないが、矛盾を感じることが増えてきている。

本当に必要としている人に届いていない。

それとは別に、教員として嬉しい、濃密な時間もいくつかあった。

先日も、対人関係や心身の面で苦しい思いをつつも、自己をきちんと内省しながら成長する生徒の姿を目の当たりにすることが出来た。

心の中は将来について不安でいっぱいだと思うが、もう少しだけ努力をしてみようという表情を見ると、心が震える思いがする。

他にも、この一年間学校から離れていても、変化を求めて行動している知らせを聞けて驚く場面も有った。

リーチする方法、キャッチする方法をもっと考えて行かなければならないと思う。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

支援が動き始める瞬間

今週一週間の仕事をしていて、

「今、このタイミングで面談が出来て本当に良かった。」

「一本の電話が相手に繋がり、声を聞くことが出来て良かった。」

と思えることがいくつかあった。

少しずつだが、支援が機能し始めた手応えを感じる。

ただ、冷静になって振り返ると、予想通りに進んだことばかりでは無い。

自分も教育者・支援者の端くれでは有るので、生徒の日々の様子や発達上の課題、家族の状況等にも注意を向けながら、「見立て」のようなものを持って仕事をしている。

ある程度正確な見立てが有り、生徒や保護者の方から信頼して頂ける関係性や協力体制が築ければ、支援はどんどん進む。

状況が大きく変わることや、新たな問題が発生することもしばしばだが、土台さえしっかりしていれば新たな機会に繋げられる。

しかし、実際には自分の見立てなど全く役に立たず、途方に暮れることも多い。

苦しい気持ちを抑えられず、唸りながら職員室内を行ったり来たりしてしまう。

そんなケースでも、細い糸を絶やさないようにアプローチを続ける中で、予想をしていなかった変化の兆しに触れられることも有る。

もう一手、もう一歩、もう一回と、こればっかりはやり続けてみないと分からない。

くじけず、機を引き寄せたいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)