リスタート出来る場所

先日、職場の高校で入学式が有りました。

新入生の表情も、それを迎える2・3年生の雰囲気もとても素敵なものでした。

暫く事務仕事が続いていたので、これだけ大勢の生徒と向き合うのは久しぶりのこと。

1年生の頃に担任をしていた生徒達が沢山声を掛けてくれたのには照れましたが、元気な声を聞けて嬉しかったです。

キャンパス長による式辞の中で、「リスタート」と言う言葉が有りました。

式の最中、そして数日経った今でもぼんやり考えているのですが、自分にとって思いの外大事なキーワードで有るようです。

本来の意味は、中学校時代にしんどい思いをした子も、高校三年間で大きく変われる、成長出来ると言うメッセージ。

でも、それだけじゃ無い。

恐らく、自分自身がリスタートして教員になった一人だからこそ、余計に共鳴する部分が有るのだろうと思います。

自分がそう言った空気を纏わなくなった時、すなわち単なる「選別」に寄った教育に傾いた時が、この仕事から退場する時なのだろうと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

『ブンナよ、木からおりてこい』

先週末、職場の声優・パフォーマンスコース1期生による、『ブンナよ、木からおりてこい』の公演を見に行って来た。

本当に良い舞台だった。

実際に見て、特に心が動いた事が3つ有る。

一つ目は、一人ひとりが自分の役柄をしっかりと演じ切っていたこと。

キャンパス内のオーディションで配役を決めている以上、思い通りの役を射止めた生徒がいる一方、希望の役につけなかった生徒も居た。

悔しさや、葛藤を抱えていた生徒がいることも知っている。

初めは、どうしても納得出来ない気持ちもあったと思う。

でも、舞台で演じる姿はとても輝いていた。

例え出演する時間は短くても、ハッと息を呑む場面や、思わず引き込まれる情景が沢山あった。

作品全体の中での自分の役割を咀嚼して、自分の演技を作り上げていった事が見てとれた。

二つ目は、コースのメンバー全員で、自分たちのブンナの世界観を見事に表現していたことだ。

水上勉による原作を読んでみると、児童文学ながら、根底には仏教的なストーリーが流れている事が分かる。

舞台では、生き物の弱さや苦しみを描きながらも、それさえも受け入れて、肯定して生きていく強さが表現されていた。

きっと皆、今の自分のハートと共鳴する部分を見つけたんじゃないかと思う。

見ている者の心にも響いてくるものがあった。

残酷な話ではあるけれど、生徒達が演じるイメージはとても美しかった。

三つ目は、全員を引っ張っていき、舞台を仕上げるコースの先生方の力。

時々スタジオでの稽古を覗きに行っていたが、やはり演出の先生方の力量は大変なものだ。

生徒達と向き合いながら、全員で舞台を作り上げる所まで導いていく姿勢。

明快な演技指導をしつつも、生徒の役に対する理解や、生徒自身の身体や気持ちから出てくる表現を引き出していく姿勢は、本当に凄いものだと思う。

見に行けて、本当に良かった。

10代の頃の自分と比べてみても、生徒達の方が凄い高校生であることは間違いない。

今の一年生達が、卒業する頃にはどんな姿になっているんだろう。

生徒が作り出すものに驚き、一緒に楽しみながら、もっともっと成長に関わって行きたいなぁと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

横の繋がり

昨年末の12月に、クラスの生徒が企画した「2016年お疲れ様会」で、焼肉の食べ放題に行ってきた。

一応の趣旨は、文化祭の売り上げを使って、入学以来頑張ってきたお互いを労いあうと言うもの。

同月に行われた合唱コンクールの打ち上げも兼ねていた。

強制力の無い日曜日のイベントながら、8割近くの生徒が集まってワイワイ過ごす事が出来た。

今回教員として嬉しかったのは、クラスの生徒の横の繋がりがよく見えたこと。

出来るだけ多くの生徒が集まれるように、お店の選定やスケジュールについて何度も話し合いがされた。

皆で食事を囲むことが苦手な生徒がいると聞けば、どんな座席配置にしたら安心か相談したりもした。

また、参加するか迷っている生徒については、僕が声を掛ける以外にも、

「クラスの誰が誘ったら、○○○君は来るやろ。」

というように、普段の雑談の中で自然に話題にのぼる空気が出来ていた。

旗振り役のリーダーを中心に、一人一人の生徒がお互いに一寸ずつ気遣いが出来たからこそ、楽しい時間を共有出来たのだと思う。

後日保護者の方と話をすると、

「ウチの子は、クラスメイトとこういう風に集まったのは初めてで…。」

という声もあった。

この一年を振り返って、 とても良かったなぁと思う。

余談だが、僕個人の価値観を言うと、大勢と過ごす時間より一人でいる方が好き、という考え方も嫌いじゃ無い。

ただ、皆とも過ごせた方が色んな集団の中で生き易くなるし、もしかしたら人間としての幅も広がるかも知れない。

押し売りはしたく無いけれど、少しずつそういった時間にも慣れていって貰えればと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

今日思ったこと

この土曜日は、職場の高校の学校説明会だった。

中学3年生や保護者の方をお迎えしながらも、頭の中では色んな考えが浮かんできた。

一昨日は行事を終え楽しい余韻に浸っていたが、今日は一日中もやもやとした思いが晴れなかった。

一言で言うと、今の自分にはギアチェンジが必要なのだと思う。

僕自身は、教員になって二年目の人間に過ぎない。

目先の仕事をするだけで汲々としている。

(例えば、日本史や世界史、現代社会の授業をするだけでも一苦労だし、そこに明快なメッセージを込めるとなると、大変な力量が要る。)

ただ、生徒たちを取り巻く社会の状況や、提供しなければいけないもの、自分の持ち時間を考えると、まずは目の前の仕事をと言っているだけでは遅すぎるし、いつまで経っても時間は出来ない。

そうしている間にも、色んなものがどんどんこぼれていってしまう。

自分が3年先、5年先に出来るようになっていたい事も、不完全でも良いからどんどん手をつけていかなければいけない。

確かな力をつける為の準備も要る。

もっともっと欲張って、望む仕事が出来るようなキャリアを自ら作っていこうと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

本という窓

最近、朝のSHR前や休み時間に教室に入ると、文庫本を携えている生徒を目にする。

時には、お互いに本を薦め合ったりもしているようだ。

こういうのって、とても素敵なことだと思う。

 

本を読むことは自由な営みなので、心惹かれるものを読めば良い。

でも、あえて理屈を言うと、読書には三つの側面があると思う。

 

一つ目は、知識や情報を得る為の読書。

社会の出来事や人々の営み、未知の出来事を知ることは、見える世界を広げてくれる。

二つ目は、楽しみの為の読書。

思わず引き込まれてしまうような小説や随筆を読むのは、それ自体楽しい。

ページをめくる中で、普段は意識することが無い思いや感情に気づくこともある。

そんな物語との出会いは、すぐに役には立たなくても、人生を豊かにしてくれる。

三つ目は、自分の心と向き合う為の読書。

僕自身が高校生や大学生だった頃に一番切実に思っていたのは、

「自分はこの先、どう生きていったら良いのか。」

ということだった。

高校に通っても分からなかったので、読書を通じてそれを知るきっかけを得ようとしたように思う。

訳が分からないなりにも心に響いて線を引いた箇所や、その時感じたことは、今なお自分にとって大事なテーマだったりする。

自分の専門分野とは違うけれど、大学生の頃は古典といわれるものや、心理や教育書、フロムやフランクルなんかも夢中になって読んだ。

 

勿論、実際にはこんな単純には分けられないが、読書は自分や社会について知る上での窓になってくれるように思う。

薦められて読む本も、また楽しい。

素敵な本が有れば、是非教えて貰えればと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)