35歳の自分のミッション

2019年は結婚をした。2020年は世界が新型コロナウィルスに見舞われた。

2021年は、家族が増えるかもしれない。幸せな反面、仕事に対する焦りも感じる。

一見人生の制約が増えたようだが、向かうべき先を見失わず、目の前のチャンスさえ逃さなければ、出来ることは山ほどある。

この10年・20年を実りあるものに出来るよう、今の自分のミッションを載せておきます。


mission

①10代の高校生に人生を見通す眼と切り拓く力を身につけさせる(エンパワーメント)

②人を育てる学校組織と環境をつくる(マネジメント)

③教育業界での取り組みの事例化・研究の発信による提言(リサーチ)

④この世の生や美を享受し感じたことを形にする(表現)

⑤目の前の人のライフイベントごとの苦しみと向き合える人になる(生老病死)

vision

30代終盤:担当授業・キャリア教育・生徒指導の実践の事例化と、アカデミックな土台作りを行う。

40代中盤:「所属法人の人材開発業務」「教員養成系大学の一授業」「高大を見通したキャリア教育授業」のいずれかが出来るレベルになっている。

50代:「小規模校の経営」「人材育成業務の本格化」「地域や組織への支援・提言」のいずれかに取り組む。

value

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

ふわふわとした感覚

小中学生は知らないが、高校生は「教員」であるというだけで教師を有難がったりはしない。

「この人は、どうやら物が分かる人間のようだ」

「この人とだったら、一緒に学んでみるのも悪くないな」

そんな風に思って貰って初めて、先生として認められるように思う。

そうした年代だからこそ、中等教育という仕事が気に入っている。

4月から新しい拠点での勤務となり、白板の前で最初の一週間の授業を何とかこなした。

私は決してセルフモニタリングが得意な人間では無いが、生徒が自分を見る目や教室の空気感から想像すると、まだ自分が評価の定まらない存在であると感じる。

個々にも、集団に対しても信頼関係と呼べるようなものが出来ていない、ふわふわとした関係だ。

これまでいたキャンパスでは、自分のキャラクターや言動、授業のスタイル等がある程度認知されていて、生徒の方もそういう先生として扱ってくれるある種の気楽さがあった。

しかし、新しい職場ではそうしたイメージ、関係づくりはゼロからスタートする。

少しだけ落ち着かない。

しかし、色んな可能性がある。

もっともっと変われるのではないかという期待を感じています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

異動の前後に考えたこと

この春から、教員生活も7年目。

実は、勤務する通信制高校内で異動となり、新たに兵庫県内で働いている。

3月上旬に異動の話を聞いた際は正直驚いた。

受け持っていた1年生を続けて見れないことは寂しく思ったし、通勤時間が長くなることも残念だった。

ただ、それ以外の全てについては、自分にとってチャンスになるだろうと感じた。

勿論、具体的な懸念事項もあった。

一つ目は、周囲のサポートについて。6年間勤務した大阪梅田では、旧知の同僚からあらゆる面で助けて貰っていた。(つまりは、沢山甘えていた訳だ。)そうした人的な資源から切り離されて、一人前の仕事が出来るだろうかという不安があった。

二つ目は、新たな役割について。平教員とはいえ、教科教育や校務分掌上で求められる役割が複数ある。その中には、生徒指導に関するものや、今まで教えたことがない科目もあり、果たして期待に応えられるだろうかという思いがあった。

しかし、そんな心細さも一週間ほどで殆ど吹き飛んだ。

これまでより複数業務を処理しなければならなくなったのは事実だが、電話一本・Slackのダイレクトメッセージ一本で、勤務地を越えて多くの先生が適切なアドバイスをくれる。本当に心強く思う。

果たすべき役割については、一つ一つ考え、準備し、取り組んでいる最中だ。この数日で悟ったことだが、自分は組織の中で「歩」に過ぎない。力を高めたい、出来ることを増やしたいという思いもあるが、自分がとるべきアクションは泥臭く前に進むだけだ。難しいことが求められている訳ではない。そう再認識したことで、大分肩の力を抜くことが出来た。

前の拠点にも新しいキャンパスにも、頼れる腕利きの職員が沢山いる。

それが何よりも自分の励みになっています。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

周りの助け

教員一年目は、2年生のクラスを受け持った。

担任としての私は、ダメダメだったと思う。

生徒の心は上手く掴めず、学校での日々のルーティンにも慣れないし、ミスも多かった。

今だから言えるが、教室には「去年の〇〇先生はこうだったのに」「××先生のクラスの方が良かった…」と言う空気が漂っていて、何とかしようとして更に空回った。

沢山失敗をして、同学年の先生には数え切れない程助けて頂いた。自分が原因で生んでしまったクレームについて反省したことも多い。

生徒対応についてベテランの先生から注意を受けたことも一度や二度ではない。そんな中、時にエレベーター内で同僚が「あの場面(の生徒指導)は、水溪先生が正しかったと思いますよ」とそっと声を掛けてくれたことは、小さな自尊心への慰めとなった。

ここまでは思い出話。

クラス運営について思うのは、同僚の支えは勿論、実は「助けてくれる生徒」の存在がとてつもなく大きい。

今改めて職員室を見渡すと、自校の一年目の先生は皆、少しでも良い授業をする為に工夫をし、絶えず生徒を気に掛けている。

そんな教員側の思いを汲んでくれる生徒がクラスに何人かいるだけで、とても心強いものだ。

私にも、そんな風に支えてくれた生徒が何人か居る。今も居る。

別に、教員の言うことを聞く良い子になって欲しい訳でも、失敗を大目に見て欲しいという訳でも無い。

ただ、担任の思いや意図していることを、少し想像してくれるだけで良い。

是非、一緒にクラスのことを気に掛けて力を貸して欲しいです。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

不注意によるミスやストレスを無くす生活面のルール

保険会社に勤務する妻は安全管理についての心得があるようで、家の中に危険や不便さを見出すと、改善策を考えるのがクセになっている。身近にいる者として、素直に凄いと思う。

なるほど、日常生活の中での失敗やストレスも、小さな工夫やルールで防げることは多い。

私自身、自分の不注意さを自覚しているつもりだが、それでも年に何回かは持ち物のことで失敗をする。特に、鍵や定期といった貴重品管理。出掛けに見つからないと、とても焦る。

(自己弁護をする訳では無いが、着ているシャツの胸ポケットの有無、季節の変わり目のジャケットの脱ぎ着、その他イレギュラーな出来事が起こった際に、「ついうっかり」をしてしまう。)

今のところは、様々試した結果「ICOCA定期券・電子マネー(楽天カード)は玄関のトレイに置く」「家の鍵は常時通勤用のリュックにぶら下げる」と言うルールで落ち着いている。

前述したような失敗を経験しているのは、私だけでは無いようだ。自分が教員として10代と関わる中でも、小さな躓きが原因で「登校する」という行動が難しくなってしまう生徒がいる。

一つ一つのミスは小さいように見えても、時間的・精神的余裕が無い中での行動は大きな危険を招いたり、自尊感情の低下や他者からのマイナス評価にも繋がったりもしかねない。

その背景には様々な理由があるので一括りに語ることは出来ないが、避けられるストレス要因は減らせた方が良い。

日常生活や物の管理上のルール、ちょっとした道具、アプリケーション等も含めると、改善の手法は無数にある。

良い工夫が有れば、是非教えて貰えればと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

定期と電子マネーは玄関のトレイに。家の鍵は私も妻もカバンに下げている。