4月から新しい生活を迎える卒業生へ

春からの生活に不安を感じている生徒がいれば、何かしら声を掛けたいと思っていた。

ただ、実際にはそんな機会は無かったし、杞憂だった。

そもそも、いざ生徒を前にすると「身体に気をつけて」ぐらいの言葉しか出て来ない。

行き場が無くなってしまった思いを、ここに書き留めておく。


①自分の中で経過した3年間を信じる

高校生活の中で、自分なりに成長した実感を持ってくれていれば、この上無い喜びだ。

その自信は、これからの進路で自分の足元や将来を照らす灯りになってくれる。

ただ、もしかしたら成長を感じられずに、不安に苛まれているかも知れない。

自分の眼では、自分のことはよくわからない。

それでも、絶対に成長している。

悩み苦しみながら過ごした時間であったとしても、3年間続けた自分を信じて欲しい。

②自分で選び取ったことに意味がある

希望通りの進路を得られなかったという気持ちや、ある種の劣等感を持つ生徒もいる。

でも、そんなものは長い眼で見たら、豊かな人生を生きる上で殆ど関係無いと思う。

「合格通知」「内定通知」はあくまで切符。

自分の力でそれを手にし、選び決断したことの方に意味がある。

そこから何をするかで自分の値打ちが決まるようにも思う。

新しいスタートを、心から応援したい。

③チャレンジは少しずつ

はじめの数ヶ月、場合によっては半年~1年は、新しいことの連続でとても疲れる。

無理をせず、新しい環境やリズムに体を馴染ませることを一番にして欲しい。

まずは土台作り。

受験や就職活動の中で思い描いたプランに手をつけるのは、少しずつで良いと思う。

④誰かの助けを借りる

僕自身は賢い学生では無かったし、新卒で就職してからも全然仕事が出来る人間では無かった。

自分で努力をしていることもあるが、色んな先生に教えを請うたり、学外の職業人から吸収したり、職場で助けて貰ったことが積み重なって、今の自分の力になっている。

相談することや助けて貰うことは、決して恥ずかしいことじゃない。

進学先であれ職場であれ、きちんと人に頼って欲しい。

⑤最後に

どうしても苦しいことや、素敵なことがあれば高校を訪ねて欲しい。

近況を知れるのは嬉しい。

ただ、こんな心配はきっと無用なんだと思う。

卒業おめでとう。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

仕事について知る入り口

今年受け持った1年生のホームルーム教室には、仕事についての本を何冊か置いていた。

自クラスの生徒だけでなく、たまたま立ち寄った隣のクラスの子や、2年生の先輩なんかも時々本を手に取っていた。

内心、しめしめ、と言う感じだ。

高校生の中で、将来の進路を明快に答えられる者はごく一部に過ぎない。

比較的興味がある事柄から、「今の段階では、この仕事をやってみたいな。」という“仮説”を持って欲しいと思うものの、中々それも難しい。

きっと、まだまだ自分自身に問いかける量も、社会について知っている量も少ないのだと思う。

写真の本は、後者を少しでも補えたら、と思って置いてみた。

『日本の給料&職業図鑑 Plus』(宝島社)は、普段お目にかからないような職業があったりして楽しい。

生徒も案外お金について興味があるようで、本を見ながら雑談をしている生徒をよく目にした。

『仕事を選ぶ 先輩が語る働く現場64』(朝日学生新聞社)という本も、個人的に気に入っている。

特に、幼稚園の先生を取り上げた章は、自分の適性や向き不向きについて悩みながらプロになっていった様子が丁寧に語られていて、職業選択について最初から完全な答えが見つかる訳では無い事が良く分かる。

こういう“過程”を知ることも、結構大切なことだと思う。

心のアンテナにひっかかったキーワードが入り口となって、新たなものが見つかるかも知れない。

色んな情報を吸収しながら、少しずつ自分の考えを形作っていって欲しいな、と思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

進路はキレイになんて決まらない

いつも有り難うございます、水溪です。
職業柄、高校生と進路について話すことがあります。
「将来、○○という仕事に就きたい。だから、卒業後は××という学校で学びたい。」と、はっきりとした目標を定めている人もいれば、
「なれるかは分からないけど、××という仕事に興味がある。」
「大学には行ってみたい。」
「きちんと仕事をして、経済的に自立したい。」
という声も耳にします。
皆、自分なりに真剣に考えようとしているのが伝わってきます。

教員としての自分は、進路は良く分からないという生徒に対しては、必死で興味の断片を引き出そうと努力します。
でも、一個人としては「そんな、進むべき進路についての答えが魔法のように見つかる訳無いよ。」という思いも一寸だけあります。

少なくとも私は、高校生の頃なぜ勉強をするか分かっていませんでしたし、大学が何をする所かも良く知りませんでした。
(そこに、保護者に経済的に依存している人間の甘えや、勉強に対する怠惰さがあったのも事実ですが。)

悩んでいる生徒に対してこれだけは伝えたいのは、まずは「自分がやりたいのはこういう事なんじゃないか。」という小さな仮説を持って、それを検証し続けると言うこと。

前述した仮説を検証する材料となるのは、自分の気持ちや理想、適性、お金や生活の事だったり、社会のニーズだったりそれこそ沢山あります。
こればっかりはキレイな答えなんて無いし、悩んで当然です。

僕もこの10年間、蛸壺に入ってウンウン悩んだり、冷や汗をかいたり、人に学んだり、痛い目にあったりして考え続けています。
どんくさい生き方かも知れませんが、悪くは無いですよ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)