何かを辞めるという決断

高校で仕事をしていると、生徒が学校を辞める場面に立ち会うことがある。

個々の事情は異なるので、一概に良い悪いは語れない。

ただ、自分の気持ちを正直に言うと、苦い思いが残ることの方が多い。

しかし、熟考した上での前向きな決断は、素直に応援したい。

何かを選び取る為に決めたのであれば、例え周りが否定的なことを言おうと、気にする必要はないと思う。

そもそも、何かを辞めたことが無い大人なんて殆んど居ないはずだ。

僕自身、仕事や大切な人との関係、自分の目標を省みても、沢山の「辞める」という選択を重ねて来ている。

自慢出来ることでは無いけど、どうにもならなくて諦めたことを含めると、それこそ失敗は数え切れない。

何にせよ、高校生のうちにやるべきことを継続しながら、自分の心に従って進んで欲しいと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

友達づくり

高校の現場にいると、生徒の友達づきあいに関する悩みと直面する。

大人しい性格で、中々親しい友人がつくれない。

積極性はあるが、相手とトラブルを起こしてしまう。

一人一人の悩みは異なるが、大別するとこのどちらかであるように思う。

いずれのケースも、相手に応じた「適切な距離」「適切な関わり方」が獲得出来ていないという意味では、根は同じソーシャルスキルの問題と言える。

これらの悩みに対して何が出来るか。

必要なのは、生徒を焦らせない事だと思う。

友達を作る前に、まずはお互いに顔と名前が一致する「顔見知り」の関係を築く。

挨拶をし合うような相手が出来てから、半年、一年という単位の時間をかけて、少しずつ親しくなっていけば良い。

毎日のHRで繰り返し伝えていきたいし、生徒間のコミュニケーションを促すワークを通して後押しをしていこうと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

社会科教員としての宿題

いつも有り難うございます、水溪です。

先週から、生徒達は夏休み。

我々教職員は、学習心理や教科教育に関する研修受講の機会を頂いたり、次の学期に向けた準備をしてりして過ごしています。

この期間、自分自身は何をするか。

社会科教員としての自分の夏休みの宿題は、「安全保障関連法案についてきちんと生徒に伝えられるようになる事」だと思っています。

誤解を恐れずに言うと、この法案についての正しい答えは、現時点で私には良く分かりません。

日々ニュースの報道を見ていても、頭の中で判断を保留にし続けて来た所があります。

全体としての最適解は分かりませんが、

「日本国憲法制定の過程」

「平和主義の理想と可能性」

「主権の有り方」

「現在の周辺諸国でのリスク」

と言った一つ一つの要素については、生徒に示すことは出来るはずです。

そうして、一緒に考える機会を作ることが、高校の教員としての役割なのでは無いかと思います。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

「みんな仲良く」という言葉

いつも有り難うございます、水溪です。

広汎性発達障害のある方への支援を行うNPOの講演で、「みんな仲良く」という言葉が引き起こす負の結果について学んだ事があります。

幼少期に学校で「みんな仲良くすべき」という情報をインプットされ、それが出来ないばかりに成人になっても集団自体を避けてしまうケース。

障害の有無に関わらず、同じようなシーンは結構眼に浮かびます。

私自身も、人間関係で悩んでいる生徒に対しては、事情にもよりますが、

「全員と仲良くしなきゃいけない訳じゃ無いしね。」

「そもそも、友人関係を築こうと思ったら、一年単位で時間がかかることもあるよ。」

といった話をすることがあります。

高校の現場にいる者として付け加えるとしたら、

「全員と仲良くならなくても良いけど、軽々しく人の好き嫌いを言うのは良くない。」

「皆と気持ちの良い挨拶をする事は、学校や職場でとても大切なこと。」

「クラスの一員としてやらなければならない掃除はきちんとやる。」

といった事はあわせて伝えていきたいですね。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)

進路はキレイになんて決まらない

いつも有り難うございます、水溪です。
職業柄、高校生と進路について話すことがあります。
「将来、○○という仕事に就きたい。だから、卒業後は××という学校で学びたい。」と、はっきりとした目標を定めている人もいれば、
「なれるかは分からないけど、××という仕事に興味がある。」
「大学には行ってみたい。」
「きちんと仕事をして、経済的に自立したい。」
という声も耳にします。
皆、自分なりに真剣に考えようとしているのが伝わってきます。

教員としての自分は、進路は良く分からないという生徒に対しては、必死で興味の断片を引き出そうと努力します。
でも、一個人としては「そんな、進むべき進路についての答えが魔法のように見つかる訳無いよ。」という思いも一寸だけあります。

少なくとも私は、高校生の頃なぜ勉強をするか分かっていませんでしたし、大学が何をする所かも良く知りませんでした。
(そこに、保護者に経済的に依存している人間の甘えや、勉強に対する怠惰さがあったのも事実ですが。)

悩んでいる生徒に対してこれだけは伝えたいのは、まずは「自分がやりたいのはこういう事なんじゃないか。」という小さな仮説を持って、それを検証し続けると言うこと。

前述した仮説を検証する材料となるのは、自分の気持ちや理想、適性、お金や生活の事だったり、社会のニーズだったりそれこそ沢山あります。
こればっかりはキレイな答えなんて無いし、悩んで当然です。

僕もこの10年間、蛸壺に入ってウンウン悩んだり、冷や汗をかいたり、人に学んだり、痛い目にあったりして考え続けています。
どんくさい生き方かも知れませんが、悪くは無いですよ。

水溪 悠樹(ミズタニ ユウキ)